夕顔 Vo. 4

「ま、なんとなくそうなる気がしただけだよ。あんま深く考えるな。」
そう言って、徹はぐつぐつ煮えたほうとうを器によそってくれた。
サトイモごぼう、かぼちゃ、鶏肉・・・具があっという間に
おおぶりの漆塗りの器に積まれていく。
「お前、今大事なときなんだからな。」
ふいに見つめられて、思わず目をそらしてしまいそうになった。
徹は惜しみなくいろいろなものを与えてくれる。
お金、チャンス、家、そしてさまざまな思い。
だけど、今までもらい慣れてなかったわたしには
素直に自分の手で受け取ることができないようだ。
親切な人が去ってから、エサにありつく野良猫のように
どこか徹をこっそり見ているわたしがいる。
徹のことは信じたいと思っている。
彼のことを信じられる私なら、きっと自分のことを好きになれるだろう。
「甘えられるときは、甘えるのも一つの才能だぞ。」
こういう瞬間、どうしようもなくぎゅっと徹を抱きしめたくなる。
うん。それはもうずっと昔から分かっているわ、と胸のうちで答えながら
徹の白髪の混じった髪に、指をいれる。


なんたってこんなに腰が重いのだろう。
徹の前だといつも、無理して食べ過ぎてしまうので今もお腹がだるい。
洗い物をしながら開けっ放しにした庭の梅の木に目をやる。
遼さんのことだって、こんなことになる前に一度会っておけば
今ほど億劫になることはなかったのに。
大して食器を使っていないので、スポンジに洗剤が残ってしまう。
暖かいお湯で、残った洗剤を搾り出す。
右手で泡がじわじわ押し出されてきたとき、またお腹を打つ音がした。

甘やかす、という言葉をもう一度口のなかで反芻する。
ほんとうに、本当に甘やかされるというのは、最高の贅沢だ。
だが一つ間違うと、その快楽さは致命傷にもなる。
ここから出ていけなくなってしまうだろう。わたしは。
そうしたら・・・答えは出なかった。前例がなかったから。


明日決行だ。
自分で物事を決められるっていうことは、結構面倒くさいとい。
嫌だなあと思ったら、勝手に変更できちゃうからだ。
高校を出た後のことは、まだ決めていないけど
このままだとついだらだらしてしまいそうだ。
お父さんはすごい。たった一人でお店の掃除、仕入れ、調理まで
全部手がけているのだから。
私にはそこまでやりたいことっていうのがない。
やろうと思えば、バイトでも専門学校でも何でもできると思うけど
何をしたいというものがない。
だからあえて何も選ばないうちに、卒業間近になってしまった。
何もないというのは、別に責められることではないだろう。
だけどこの先死ぬまで何十年かが
まったくの空白になっているというわけで、
それを考えると脱力してしまうというか、気が遠くなってしまう。
案外この世なんて本当にやんなきゃいけないことなんて
そんなにないんじゃないだろうかとさえ、思えてくるのだ。




「おっまえ、ちゃんとナビしろよなあ!」
「だって一本道じゃん。しかも、道急すぎるよお。下見たら酔っちゃうし。」
実は俺ものどの奥にもったりとした倦怠感がすでに居座っていることは
言わなかった。不吉だ。口に出したらますます酔気がまわってしまいそうだし。

遼とのドライブももちろんだが、写真も楽しみにして来ただけに
ルートには正直落胆させられた。
俺は趣味で空の写真をたくさん撮っている。
技術的にはうぶげさえ生えていないずぶの素人だ。
毎日、気に入った何枚かをホームページにアップする。
田舎に行けば空がたくさん見えると思ったら
山がそびえすぎて、空はちっとも見えず
目をそらした瞬間、対向車に激突しそうになって遼に怒鳴られてしまった。