夕顔 Vo. 2

私がふたたびコーヒーを飲みだしたのは、中学生になってからだ。



お父さんが入れてくれるコーヒーに最初にけちを付けたのは
クラスのはせちゃんのお母さんだった。
多分四年生くらいのとき、誕生日会がはやった。
私もおよばれして、友達とファンシーショップでときどきしながら
誕生日プレゼントを買った。
「いつか大人になったら、ここにあるもので
家のものを全部そろえちゃおう!」
家の台所にうず高く詰まれたくすんだ和食器が、じゃまで仕方なかった。
大して料理をするわけではないのに。。



ファンシーショップは「なりたいわたし」が持っているはずのものを
不思議なほど忠実にそろえている。
そのなかからたった一つを、プレゼントとは言え
お小遣いで買える範囲で選ぶのは
たとえ自分のものにならないとしても、何だかわくわくする。




長居しすぎて、はせちゃんちに着くと
玄関には色とりどりの運動靴が、にぎやかに散らばっていた。
「あら、遼ちゃんね。はじめまして。」
はせちゃんのお母さんだ。花柄のエプロンをして、
柔らかそうなタオル地のスリッパをはいて小走りに出迎えてくれた。
毛玉が付きやすいんだろうな、これ。
「こんにちは。今日はお招きいただきありがとうございます。」
そう言って、私はおずおずとお土産のケーキを差し出す。
くずれないように、わざわざ歩いて持ってきた
響さん特製のバースデーケーキだ。
実は私もまだ中をちゃんと見ていない。




誕生日会に行く、とは言ったけど
ケーキを準備してとは頼んでいなかったので
朝、カウンターに置かれていた巨大な真っ赤な箱を見ても
まさか自分が持っていくものとは思わなかった。




「響君に特別に作ってもらったんだ。
傾かないように、気をつけて持って行きなさい。」



こういうとき、返事をするのがおっくうになる。
みんなどうせプレゼントしか持ってこないのに
私だけこんな大きいケーキを持って行ったら
目だつし。



何というか、私たちのなかだけでのとりきめに、
突然おとながはいってくると
急にいままでうまくいっていたものまで
面倒くさくなってしまったりもする。
ほっといてくれたらいいのに。
お父さんが気を使ってくれているのはわかる。
お母さんがいないから。
それは分かるけど、それなら私にも気を使ってほしい。



とりあえず、はせちゃんのお母さんにケーキを渡すと
手もあいて胸の重苦しさもなくなった。
「わあ。わざわざありがとうね。」
お礼の言葉を背で跳ね返して、私はみんなのいるリビングへと急ぐ。



十分後
テーブルにどーんと出されたケーキに歓声があがった。
百合の花の浮き彫りがされた、ガラスのお皿にもられたのは
シロップをぬられてつやつやと輝くいちごが、まあるくスポンジ全体を覆った
華やかなケーキだった。
普段、「バウ」で見慣れているものとはまったく違う
あでやかな洋菓子のいでたちに、吸い込まれてしまいそう。



「みんな飲み物は何がいいかな?さっちゃんはクーね。遼ちゃんは?」
どうでもいいけど、どうしてここのお母さんは
子供っぽいことばで話すんだろう。



「あ、すいません。コーヒーもらえますか?」
瞬間テーブルが少し広がった気がした。
突き刺さるみんなの視線。
「えーっ、普通コーヒーなんて飲まないじゃんなあ!」
クラスでも何かとネタを見つけて喋りたがる小林の甲高い声が、沈黙を裂く。
はせちゃんのお母さんは困ったように首をかしげて、微笑んだ。
その意味をつかみかねていると、おばちゃんはトレイのなかから一番可愛い
キャラクターのコップを出してくれた。
「遼ちゃん、コーヒーは体に悪いから今日はジュースにしとこうね。」



その夕方、とぼとぼと海沿いの道を歩きながら
わたし、大人になるまでコーヒーは飲まないって誓った。
中学生くらいならいいのかなあ。
自転車に乗ってメイプル色の髪をした先輩達は、十分大人に見えるけど。
ついこのあいだまで一緒にクラブや委員会をやっていた。
「中学校は面白いよ」なんて、下校途中ですれちがったら笑ってくれたのに
だんだん無視するようになってきて。
眉毛がなくなってきて、スカートが短くなって。
いつか私もああなるんだろうか。



なぜかつくづく響さんに会ってみたいと思った。
炭酸と一緒に食べるなんて、ちっとも美味しくなかったわ
と大声で怒鳴ってやりたかった。
響さんなら分かってくれるんじゃないか、
そんな理由なき確信に背中を押されながら
家まで何とか帰ってきた。