オーラルヒストリー

昨日から集中がはじまって、ベトナムのオーラルヒストリーの授業を
受けている。
出席こそしているものの、睡眠学習で起き上がるたびに
休憩がはじまる・・・何しているんやろ。私。

しもじもの人たちの生涯を
ことばにする作業っていうのが必要なのかそうでないのかは
なにをもって歴史と呼ぶかというところにかかっているのだろう。

歴史は歴史を動かす人と、その決断に翻弄されるひとに
二分される。
オーラルヒストリーはその後者を追うものであり、
言ってみれば個々の日記の代筆になるのだろう。